ホロホロ

先週から仕事が本当に辛く、わたしには耐え切れないなという感じ。

毎日疲れて泣きたかったしもう今すぐ泣きたい、さようなら。

 

昨日

好きな感じのカフェで「氷の微笑み」という名前のついた飲み物を飲んだ。

可愛い友人に「甘い余韻」という名前の資生堂のコスメをもらったりした。

アポリネールの詩集を古本屋で手に入れた。

 

好きなものを3つの話

好きって何みたいになってきた

 

ホログラムの入ったマニキュアをつけている、トップコートを塗っていないのでホログラムが毎日どんどん取れていく。ベースが透明だから落として塗り直したせずどんどん塗り重ねていくだけでいいのでこの時期にぴったり、そんなのやだぁ

メモリー

少し前のことを思い出してその日の日記に書いたりしている。今日思い出したことは今日のことだから。人の言葉を、今反芻して驚いたりすることがある。ふうん、って思ったり少し苦しくなったりする。もっと何かできたんじゃないか、もっと違う答えがあったのでは、とか。

 

過去の記憶、今のわたしの持ち物

典型的な愛

先日観た『PiCNiC』(1996)のことを一日に何度か思い出している。わりと自分みたいだと思った。私も叫びたい。地球最後のピクニック。

 

持ち物:バスケット、サンドイッチ、酒、ぬいぐるみ、フルーツ


春は明るい色の、訳の分からない服装をしよう。
26歳は温故知新につとめていこうと思う。『東京ラブストーリー』(1991)を観始めた。江口洋介が出ている。長髪 センター分けの男。『スワロウテイル』(1996)の時も同じようなヘアスタイルね。東京ラブストーリーの放送時、両親は私と同い年だ。幼い私と写った、昔の母の写真はまさに80年代だった。

高校一年の頃、社会科の先生が冬の授業中に窓を開けて、寒がる私たちに言った「寝るなー、凍え死ぬぞー」はこのドラマからきているんじゃないかな。

 

私には同期の子がいて、私たちは約2年前に共に入社した。初めは任されることもほぼ同じだったけれど今では全く違うことをやっている。持ち合わせている性質が大きく異なる。彼女は何をするにも迷いがなくとてもスピーディーで多くのことをこなす。目に見える形で利益を出す。一方、私の仕事の仕方は、かなりマイペースで期限スレスレギリギリ(遅れたことはない)で丁寧だ。で、量は少ない。一つのことに時間がかかる。何かを決めるのに沢山の資料やデータが必要で選択肢を持たないと決断できない。この先どうしようかな、とほほだね。

 

仕事で大阪に行った際、見たいと思っていたカラヴァッジオの絵を見に行くことが出来た。素晴らしくて、涙が出た。幸せ、展示会を頑張ってよかったと思った。今日はソールライターの写真を見た。好きだった。日常を切り取ったような、どこにでもある景色を良い眼で眺めている人、と思った。色彩感覚は明度も彩度も高い。

 

銀座。喫茶店での、女の子の会話はほとんどが男のことだ。よく分からないけど勉強になる気がする。

 

 

iPhoneのメモに「典型的な愛」ってメモがあったけどなんことだかさっぱり

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午後2時。学校に戻ってくると、本当にどうしようもない気持ちになる。平日の昼間に来たので学生の姿がある。私が学生だった時のことを思い出す。つい2年前なのに、全てが、もう届かないところにあるように感じた。


夢や希望に溢れている。ファッションを中心に全てが構成されている空間。キラキラして見える。みんな思い思いの服装をしている。男の子がお洒落して集団でいる姿、良いなあと思って眺めた。派手な子が一生懸命パターンをひいたりしている。

通っていた頃は辛い思いの方がずっと大きかったのに、こうしてもうここにいられないってなったら、恋しくて羨ましくて堪らない。

まあ実際は、そんなに良いばかりでもないんだけど


トイレ落ち着くなあって思った、なんかよく知っている場所という感じで。


今日は図書館で資料を見ていた。偉大なデザイナーたちのアーカイブが沢山あり、これらに触れていけることを嬉しく思うのと同時に、自分は無力で勉強不足だと焦る。

 

好きなものばかり見ていてもいけないからと、帰り際に赤文字系の雑誌を読んだらさらに頭が痛くなった

私は愛せるものしか作れない、むりだ


図書館も閉まって帰ろうとしたら1年目の副担任の先生に会った。少し、3分くらい、話をした。誕生日おめでとう、と言われた。私の友達のInstagramのストーリーを見たから知っているらしい。「何歳になったの?」「26歳…」「大丈夫だよ、26歳の学生たちいるから」だって。美人で私に甘くて大好き。女の先生だけど異性の歳上という感じ。

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会社のパソコンの中に「頭の中」という名前の付いたwordデータを入れている。仕事中に思いついたことを書く。

 


Charaの曲、儚くロマンチックで甘い。自分が何も出来ない女の子、あるいは赤ちゃんになった心地がする。そしてそうであることを許されて幸せだ。甘美なものに全てを委ねるだけでいい。欲や邪念や劣等感は消える。人は、生まれたままで美しいです。原初の状態になる。

 

 

会社の給湯室で知っている匂いがした。思い出そうとした。それは文鳥の雛にやる餌の匂いだった。水でふやかしたものを注射器のようなもので吸って、クチバシから喉のほうに入れて食べさせる。

 


ジャンガリアンハムスターを飼っていた。7歳くらいのころだ。それは家族のではなく私のハムスターで、私にとても懐いていた。ケージに手を入れると手に乗ってくるし、呼べば巣穴から出てくるし、芝生で離しても逃げない。名前はつけていなかった。

 


そのあと何年かしてまたハムスターを買った。白いジャンガリアンとグレーのジャンガリアンだ。フランス語で白と黒をさす、ブランカノワールと名付けた。家族の誰が言い出したのか、交配をさせた。子供が生まれた。3匹成長していき、毛色は白1匹とグレー2匹だった。生物の授業でならった遺伝の法則のことを思い浮かべた。シロ、クロ、クマと名付けた。結果的に5匹のハムスターを同時に買っていて、白いという名前が2匹、黒いという名前が2匹、クマという名前が1匹となったわけでした。

 


ウサギたちの名前のことを会社で考えたら微笑みが止められなくなった。

Charaの曲だいすき

 

聴いていたら1年〜半年ほど前のことを思い出した。

あの頃私は神様について考えていた

人とそういう話をして、神がいるなら何故世界はこんなにも悲しいのか、と思った

全能なんて嘘だ、とかなんとか言っていた

創造したのなら、完璧でなくてはならなかった

 

私が話をしていた人は、

それでも神は私たちを愛していて、世界に、人々に悲しいことが起こるたびに一番傷ついてボロボロになっている

と言っていた。

 

私はその言葉をとてもよく覚えている、というよりも思い出した。

この一年弱自分に何があったのか分からないけれど、今私もそれを想像することができる。

父なる神であり、母なる神なのだと思う。

愛していて、大切に思っていて、幸せを願っていて、傷ついている。

 

もっと人に優しくなりたい

 

私は特定の信仰を持たない

神様みたいなものを想像するとき、それは光だ