私の現実って全部夢で出来てるのかな

もしかしてもうおじいちゃんとグミ食べたり苺買ってもらって2人で食べた出来ないのかなと思ったら悲しくなってきた

早起きして音楽聞いたり変な薬草ペーストみたいなの舐めたり出来ないのかな

 

大丈夫になったらすぐおじいちゃんに会いにいきたい。帰りに京都に寄って元気に帰ってきて仕事をしたりして、また会いにいきたい。夏も冬も毎年会いに行きたい。

 

 

眠い 寝てもいい

気が狂いそう 気が狂ってもいい

泣きそう 泣いていい

吐きそうな時も吐いていいんだと思ったらなんか楽になった。吐き気が込み上げたとき我慢するのめちゃくちゃつらいよね。仕事辛いとき吐きそうですってたまに言ってるけどそのとき本当に吐いたらやばいなと思ってるからこわくなるけどトイレに行けばいいだけの話だ。まあこの場合吐いたら楽になるということはなくて吐いたらどうしようというプレッシャーから解放されているだけなんだけど

 

 

定期的に思い出すすごくいいなと思う人が3人いる。透明な氷みたいな子と、古い良く手入れをされた美しい装丁の本みたいな子と、本当によくわからないスーパーコンピュータみたいでアンティークみたいで宝石や絵画や花や本みたいな人間の人。あと自分のやっていることを忘れたとき、方向性を見失ったときはゼミの先生のことも思い出す。

透明な氷みたいな子と、また喫茶店に行くのを楽しみにしている、行きたいねって言い合っている。

ジェリービーンズのエマが7歳歳下の小学生の蘭堂と付き合って「あの子といると心が蜂蜜みたいになる」というようなことをたしか言っていた。この人と一緒にいると、心にあるどうしても解けない氷が甘くてとろとろでキラキラする蜂蜜になっちゃうな、みたいなことってあるよね。

 

 

私は自分のことをなぜか特別だと思っている。私より素晴らしい人は履いて捨てるほどいる、というか私は可愛いわけでも賢いわけでもないのに自分のことを特別だと思っている。人はみんなそれぞれに特別とかそういう話ではなく

 

 

切ないことを思い出したりしたときの表現として胸が苦しい、というようなのがあるが本当に心臓のあたりがギュッとして痛くなる