むかついたことを書く

 

 

 

おじいちゃんとおばあちゃんの家に久しぶりに遊びに行った。前回いつ行ったのか思い出せない。美味しいご飯を食べさせてもらって、洋服を何着かもらって、のんびりしてたくさん話して帰ってきた。

 

 

ふたりと会えたのは嬉しかったし、おじいちゃんは少し前に2ヶ月入院したほど身体の調子が良くないみたいなのでそういう意味でも会えてよかった。

 

 

でもやっぱり、前に行ったときと同じように行かなければよかったと思う面もある。

まずはじめ私だけが行く予定で、妹たち(大1、高1)も行く誘って3人で行くことにしたら、おばあちゃんは一番末の妹が行くことをとても喜んでいた。それは別にいい。

 

 

到着すれば末の妹はかわいいかわいい、「おじいちゃんが貴方に会いたがっていたのよ」と言われていて、彼女はついでに来ただけなのに、私の方がいないみたいだと少し感じた。

 

 

後から真ん中の妹が到着した。記念に写真を撮れば私は顔が怖いなどと言われた。見てみたけれど怒っているわけでも笑っているわけでもだからと言って真顔なわけでもなく至って普通だった。末の妹のものは「お見合い写真に使えそう」などとものすごく褒めていた。でも正直そちらもいたって普通でそれがそんなにかわいいら私のも超かわいいということになる。

 

 

彼女の着ていたワンピース、「可愛いからとても似合う、素敵ねえ」とのことだったけど、それは私の選んだ、私の買った、私のワンピースで、私が着ているときだっていつも褒められるもので、気に入っているけれど最近あまり着ないし妹は普段制服で服がないので貸しているものだ。私のなのだから可愛いのは当たり前。「凄く似合っているからもらえば?」と言っていて、冗談だし意地悪な感じではなかったけど、もともとあげてもいいと思っているけれど、少し嫌な気持ちになった。

写真の話に戻ると、真ん中の妹の写真も可愛いと言っていて、なぜか私と真ん中の妹と二人で写った写真を末の妹に見せて「2人のうち結婚するならどっちがいい?」などと聞いた(質問の意図がわからない、何故姉2人のうちから結婚したい方を選ばせるのか…)ら、末の妹は私の方を選んだ(どっちでもよかったけど、どっちも嫌とかでもよかったけど、少し嬉しかった)。おばあちゃんはそれに「どうして?」と聞いた。ただ会話の流れで、選択した理由を尋ねることなんていくらでもあるだろうけど、なぜかイライラした。妹はそれに「つよそうだから」と答えた。理由も良かった。

 

 

 

なくしてしまったものがあって、それは私がなくしたのか、妹が無くしたのか、母が無くしたのがわからないもの(しかも妹の用事に母の代わりな私が付き添ったとき最後に使ったもの)なのにおじいちゃんには私ばかりが「探さなきゃダメだ(探した)、そんなのなくすなんて聞いたことがない」とずっと言われていた。私が持っている可能性は低いし、そもそも関わる予定のなかったものなのでとても理不尽で、久し振りに会ったのにとても悲しかった。わざわざ会いに着たのに…とさえ思った。

 

 

真ん中の妹がバイトをしていることも、末の妹がお礼を言えることも、2人が勉強するものを持って行ってやっていることも全部すごく褒められていたけれど、全部私もやっていることだった。別に私にとっては全部全部あたりまえなので偉いことだとか褒められたいなどとは微塵も思っていなかったけれど、そんな風に名指しで、2人のことだけ目の前で褒めたりしなくたってよかったと思う。褒めたとしても、私にも違う一言があったってよかったと思う。また少し居ないみたいだなって思った。

 

 

帰りもわたしはまた遊びに着てねなどとは言われなかった。忙しさや年齢を考慮したことかもしれないし、言わなくてもちゃんとくるだろうと思われているのかもしれないけれど、複雑な気持ちだった。もう行きたくないと思ったけど、来てって言われたかったんだと思う。

 

 

前に行った時も、こういう風に感じて、年下の子が可愛いのは仕方ないし、頼りなく見えて何をしてもすごいことに感じるのも仕方ないけれど、今回も嫌なことがたくさんあったので消化できない。

 

 

 

それでも私は妹たちを疎ましく思うわけでもなく、一緒にいれば楽しいし、今日かわいいかわいいと言われた妹は少し自信を得たようで嬉しそうだった、それが私も嬉しかった。普段あんまりされない分そうやって甘やかされることも大切だしそういう日になってよかった。しかも妹たちには私の持てる全てを共有したいと思っている。自分がこの年齢まで気付かなくて早く知ればいいと思うことはなんだって教える。美術館や少しお洒落なカフェに行くときは誘って連れて行く、良い洋服を見せたりブランドの話をする、勉強を教える、好きだろうな読んでおいたら人生の助けになるだろうと思う本を貸す、学校で嫌なことがあったときの乗り切る方法や考え方を教える、面白かったことやバイト先や学校で学んだことを話す。そのおかげと言うべきか、そのせいと言うべきか分からないけれど、妹はその歳にしてはすごく大人で考えることも話すこと出来る、知識も豊富、という感じで同級生は幼く感じて嫌だと言いながらも、先生や周りの大人からはとても褒められるという。私が貸した服、あげた服は100%褒められる。それが私も嬉しい。

 

 

私は両親にそれらを与えられたことがなかったから、自分で行動したり別の大人と話したりして気づいたり学んだりできたのことなので少し時間がかかってしまった。今の自分が好きだけど、もしこれらを知ったまま15歳になれたらどんなにいいだろうと思う。おじいちゃんやおばあちゃんが褒める彼女は私のおかげでもある思う。別に知ってもらわなくて良い。褒められなくても妹は私を尊敬しているのがわかる。心配されないのはしっかりやれているからで、褒められないのも当たり前のようにこなせるからだと思う。これまでずっとそうだった。

 

 

彼女が私によって早く成長した分は私がもっと早く成長すれば良いと思う。長女だからずっと一番で居られるようにがんばり続けたい。誰のためでも、褒められるためでもなく自分のため、私はそういう自分が好き。私は前を走り続けるので頑張ってついてきてほしい(勝手についてこいよって感じでなく、いちいち気にかけてこちらからアプローチするのでわたしは本当に優しい)。抜かされそうになってももっと頑張るし、それが出来るだけの貪欲さと賢さ(幼少の頃より勉強に向いている脳みそを持っている)を持ち合わせているので今のところ一番でいられそうだ。

 

 

だけど、本当は少し疲れたりしているので私も妹のような立場になりたい。なんとなく生活していくだけで私の知らない色々なことを教えられたい。誰かに遠慮することなくついていきたい。引っ張り上げて欲しい。1人で頑張れないときもあるし、一緒に頑張るのとも違う、少し先にいるような人に引っ張られたい。誰か気にかけて欲しい。やる気や元気をなくしたときに励まして欲しい。

 

 

 

 

家の外だと頼りないとかしっかりしてないと言われてなんでもやってもらえたり(やらせちゃう)、かわいいと言わせたりしちゃうのは家だと頑張らなきゃいけなかったり得られないものを得ようとしている結果だと思う。ベタベタに甘やかされたいね。