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10月1日で働き始めて半年がたった。心から嬉しいことも顔が歪むほどに嫌な思いをすることもある、泣きたい気持ちには一度もならずこれからもなることはないだろうね。この半年は慣れること、遊ぶこと、好きなことだけを頑張る時間にしていいと自分を甘やかした。お金を使ったり映画や読書、友達との時間にお酒がすごく楽しかった。ここから先は、ここまでがんばっていたことを当たり前にこなしてさらに新しいことを出来るようにしてそれすらも当然のこととしていきたい。資格を取りたい。

 

19時過ぎに退社して駅まで歩いていたら本当にもうすっかり秋だった。夏に戻ることはないんだろうね。自分のことを考えると必ず家族のことを思い出す。家族のことを含めて自分を見る。12月まで就職先が決まらず、年が明けたころ新年の挨拶と一緒におじいちゃん、おばあちゃんに就職先が決まり何をしていくつもりかを話した。話すことができた。2人はとても喜んでくれて、今でもその光景は思い出すたびに私を嬉しくさせる。ふたりとも、私のことを誇らしいと言った。とても心配をかけていたようで、あまりにもそういった連絡がないのでおじいちゃんは知り合いに私の就職のことを頼もうとしていた、と言った。つまりコネ入社のようなものだ。正確には会社ではなく、そこは私が大学時代必死に努力しても入れないようなところだった。私は家族のことをほとんど知らないんだと思う。おじいちゃんが何をしていたかを知らない。人生は面白いよね。暫くは自分で掴んだ機会を生かしてやっていきたい

 

スターバックスに寄ったとき、レジの男の子が背が高くて顔がものすごく整っていて人当たりがよくハキハキと喋り、本当に他人に好意しか与えないだろうという感じだった。隣のレジだった同期の子もそう言っていた。一杯もらえるというレシートが当たって、その時「僕これ初めて見たんですけどね」と笑って、驚くほど可愛かった。あんな風に振る舞えるなんて羨ましい

 

電車で席が二つ空いて、私が端の席に近いほうに立っていたのに私の隣にいた30歳前後のサラリーマンが若干無理に端っこの席に座った。座ろうとした私に気付いて、一度その隣で妥協しようとさえしたのに、ぶつかりそうで驚いて私が避けると結局端にすわり、私は遠い側の席に座った。綺麗な見た目をしていたので残念だと思ったし、普通にかっこよくて身なりに気を配ることも上手いのに人への思いやりは欠けているという印象を受けた。たまにこういった、どうするか選ぶときに予想と違う方を選ぶ人にびっくりするけれど、きっと私もそう思われているね、変な人って

 

ゼミの仲のいい3人の友達といるとき、一番自然でいられる。超ニュートラル。35.8度の水に浸かっている感じ。もともと興味の矛先や好きな考え方が似ていたはずなのに、さらに何度か価値観の変わるような年代を一緒に同じようなことを考えて話したりしたのでさらに近くなった。生い立ちや好きなものは全く違うけれど、温度が似ている。わたしは彼らの事が心から好き。不器用で人間味があって温かく、会話のスピードが速く皮肉からさえ知性を感じる、私の知る多くの人たちよりもっと物事を真っ直ぐに見て受け入れることに長けているし、興味深い経験をたくさん持っている。自分のどんな面を知られたとしてもそれはそっくりそのまま受け入れられるだけで偏見を持たれたりすることはない。何かを言ったとき、その言葉の持つあらゆる可能性(ポジティブな意味・ネガティブな意味・賞賛・嫌味・嫉妬・憧憬など)を考慮されて最終的にはそのままの意味になる。上手に説明出来ないけれど、つまり軽く流されると言う感じではなくしっかりと受け止められて心地いいということが言いたい。尊敬と愛情しかない